イベントレポート|
「生活の場としてのハンセン病療養所の記録と継承」を主軸に、リサーチをベースとする表現活動を行う写真家、木村 直さん @chokukimura の展覧会
『大阪にあったハンセン病棟療養所』
が終了しました。
今回、千鳥文化ホールにて展示くださったのは、かつて外島保養院があった現在の大阪の姿。
単にその痕跡を探し、映しだすことだけを目指すのではなく、
かつて本当にそこにあったのか今や「よくわからない」という事実を含め写真にすることもまた、ひとつのメッセージとして鑑賞者に手渡されていくようでした。
金網に囲まれ、非常に内容が読みづらい外島保養院記念碑(石碑)を、一文字一文字たどっていくように木村さんの手で転写された作品。
それはシャッターを切ることとは別の形での”残す”ための作品であり、
かつ文字を丁寧に読みながら木村さんの記憶に刻まれていったという、決してなかったことにはなりえない行為自体の記録でもあるようでした。
「らい園に美談などあるものか あらいでかというもの あなたもベロニカ」という題名のついたフォトグラム作品は、
場所を変え、国⽴療養所多磨全⽣園(東京都)の柊の垣根の影を記録したもの。
強制隔離のため有刺鉄線の代わりに植えられたという柊の葉に対し、
0センチの距離で紙を広げ、その形を写し取った木村さん。作品の両端には紙を持つ木村さんの指がくっきりと映り、そのふるまいも一緒に提示されているようにも思えました。
一見客観的でありながらも、追悼のような、祈りのような印象を受ける「記録」たち。
過去、現在、未来の出来事と、問題と、
自分はどう向き合っていくことができるのか、その難題の一つの答えがそこにあるようでした。
ありがとうございました。
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(下記、木村直さんによる展覧会情報より)
外島保養院は、1907(明治40)年に公布された「癩予防ニ関スル件(法律第11号)」に基づき、全国5ヵ所に設置された公立療養所の一つとして、1909(明治42)年に現在の大阪市西淀川区に開設されました。しかし、1934(昭和9)年9月21日未明、史上最大規模の「室戸台風」が高知県室戸岬付近に上陸し、大阪を含む京阪神地方に甚大な被害をもたらしました。外島保養院の施設 はほぼ全壊し、入所者597名のうち173名が命を落とし、職員や工事関係者を含む犠牲者は196名にのぼりました。 この悲劇の主因は、療養所に適さない1級河川の河口、海抜ゼロメートル地帯に建設されたことにありました。さらに、差別を背景とした反対運動によって移転計画が実現しなかったことが災害を深刻化させ、「ハンセン病への差別が生んだ人災」と言われています。 現在、外島保養院の跡地は工場地帯として再開発され、当時の面影はほとんどありません。これらは、未来の全国のハンセン病療養所の姿なのではないかと考えられます。それ程までに、日本の全国のハンセン病療養所は次世代への継承をどのように行うか、個別具体的な構想が外側から見えてきません。そこで本展では、外島保養院の現在の姿に焦点を当てつつ、人々の記憶から消えつつ あるハンセン病療養所の景色を考察します。
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profile)
木村 直(きむら・ちょく)
https://www.chokukimura.com/
1998年生まれ。東京藝術大学美術研究科先端芸術表現専攻修士課程に在籍。Bauhaus-Universität Weimar交換留学。
「生活の場としてのハンセン病療養所の記録と継承」を主軸に、写真・ 映像・インスタレーションを用いて制作活動を行う。
2歳ごろから両親に 連れられ、国立療養所沖縄愛楽園(ハンセン病療養所)に訪れる。20歳の頃に国立療養所松丘保養園(ハンセン病療養所)に訪れ、現在は 松丘保養園の内と外を繋ぐ理念の元、『ばっけ通信』(ふきのとうの会) の編集長も行なっている。
2021年「T3 PHOTO FESTIVAL STUDENT PROJECT」 グランプリ受賞
2022年「第9回500m美術館賞入選展」 グランプリ受賞